2月23日

 ひどい一日というのは、何か劇的に悪事があった日のことというよりかは、まったく何もせず、寝てたりゲームしてたり動画見てたりで空費される日のことを指して言う。まったくひどい一日だった。11時くらいまで寝て、昼は豆腐と白飯を食い、夕方から出かけるぞ!と思いながら夜の20時まで二度寝をしてしまった。飽き性の自分だが、睡眠だけは素晴らしい持続力で続いている。

 ガストの大盛のご飯を食べたいなと思って駅前の店まで行くが、ウェイティングに老人が五人くらい座っていて萎え、スーパーで総菜を買って帰る。何もかもが高い。夜九時、揚げ物などは特に安くなるはずだが、一枚肉のとんかつは300円ほどで、買う気にならなかった。明日こそは料理でもしてやろうとか思ったが、雨続きで気力もないので、いつもの冷凍生活は続く。日々はこの塞がりと弛緩。会社の食堂とか、みなが弛緩しきった、油断しきった表情で、何も考えず飯を食っている。その中に身を置くことの、やりきれなさ。ここを目指して努力したのか、という嘆息が、冬の寒さと重なって身を貫いてく。

 研究はというとほとんど進まなかった。坪井秀人『戦後表現 Japanese Literature after 1945』(名古屋大学出版会)の第Ⅰ部をようやっと読み終える。復員小説のパラレリズムは、石原吉郎論にも援用できそうだと思い、やや明るい気持ちになった。何かしら自らに引き付けて読める読書はいつも愉しい。