2月20日

 父は日記を書く人間で、ルーズリーフに欠かさず30年ぐらい日記を書き、紙束の山のいよいよな重量に驚いた思い出がある。おれは何もかもが続かない人間で、心臓の鼓動と睡眠の習慣ぐらいしか持続するものがない。抗って書いてみる。意識して書いてみる。忘れないように、ではなく、日々忘れながら、書くために書く。一日を通時的に分解するのではなく、トピックもまばらでよいと思う。とにかく何も決めないことが肝要な気がする。

 19:00に仕事を切り上げて、帰宅。『日本近代文学』第105集の、多田蔵人「言葉をなくした男 ―森鴎外舞姫』―」をようやく読み切った。『舞姫』といえば日本人エリートの太田とドイツの少女エリスとの恋愛譚。擬古文調の独特なリズムに翻弄されてまともに読めてなかったような作品だが、言われてみれば太田の翻訳と翻意によって、エリスの生の声はかき消され、太田も沈黙へと追い込まれる。坪内逍遙はじめとする記述主義への異議申し立てとして『舞姫』が読めるという、目から鱗だらけのすばらしい論文だった。